【物語】
明和六年(1769)
坂崎 磐音、藩主福坂実高の参勤に伴い、小姓頭として出府する。
神田三崎町の直心陰流、佐々木玲圓の道場に入門。
明和七年(1770)
河出慎之輔、江戸在勤の命を受ける。
小林琴平、剣術修行の届を藩に出して、同時に江戸入りする。
ともに神田三崎町、佐々木玲圓の道場に入門。
明和九年(1772)四月下旬
豊後関前の城下と関前湾を遠くにのぞむ峠道に3人の青年武士がさしかかる。
3人は江戸から260里の旅をしてきた。
その1:河出慎之輔、28歳。御先手組組頭380石。妻の舞が関前にいる。
その2:小林 琴平、27歳。父に替り納戸頭250石を継ぐ予定である。河出の妻、舞の兄。
その2:坂崎 磐音、27歳。中老職630石の長子である。
3人は幼少時から城下中戸道場で学んだ剣友である。
小林と坂崎は、佐々木道場での研鑚の結果、「目録」を得ている。
坂崎は、小林の末妹 奈緒との結婚をひかえている。
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【時代】
明和
江戸期の年号。
宝暦14年6月2日(1764年6月30日) 後桜町天皇即位のため改元。
明和9年11月16日(1772年12月10日) 安永に改元 。
明和九年
2月、明和の大火(目黒行人坂の大火事)。江戸三大火の一つ。この年は災害が相次いで起こり、「明和九年は迷惑年」などと言われた。
9月、南鐐二朱銀が発行される。これより「分」、「朱」を単位とする計数銀貨が秤量銀貨を凌駕する時代が始まる。 (←ウィキペディア)
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【地域】
豊後
旧国名の一。大分県の中部・南部に相当。(←大辞林)
豊後国(ぶんごのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に位置する。
別称は豊前国とあわせて、または単独で豊州(ほうしゅう)。また、両国をさす語として二豊(にほう)も用いられる。
領域は現在の大分県のうち宇佐市と中津市を除いた大部分にあたる。『延喜式』での格は上国、遠国。(←ウィキペディア)
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(←ウィキペディア)

(←グーグル地図)

関前
豊後に「関前」の地名は存在しない。
豊後水道の九州側「佐賀関半島」四国側「佐田岬」の間の狭い海域周辺を「関」というらしく、
その「関」の海を前にした土地の意を込めて創造されたと思われる。
臼杵・津久見・佐伯のあたり。
関前湾
豊後「関前」の地を囲む湾という意を込めて創造された海域。
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江戸より二百六十里(1040キロ)
佐伯
江戸より266里。
毛利伊勢守家。2万石。外様。城主。柳間詰。
臼杵
江戸より278里。
稲葉右京亮家。5万石。外様。城主。柳間詰。
今の地図でみると佐伯より臼杵の方が京に近いようだが、当時は山地を迂回せねばならなかったようだ。
(←大日本行程大絵図)
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関前城下
峠から遠く関前城下と関前湾をのぞめる。
中戸道場
藩の道場。道場主、中戸信継。神伝一刀流。
河出・小林・坂崎は幼少時からの門下生である。
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【江戸】
神田三崎町(みさきちょう)[1-1-1]
江戸幕府が開かれるころまで、現在の大手町から日比谷や新橋周辺は、日比谷入江(いりえ)という遠浅の海であった。
三崎村はこの日比谷入江に突き出た土地の端にあったため「ミサキ」の名が付けられたと伝えられている。
やがて大名や旗本の武家屋敷が立ち並ぶ町に変わり、江戸時代を通じて小川町(おがわまち)と呼ばれた。(←千代田区ホームページ)
現在の水道橋の南側から江戸城に至る地域。高禄の旗本屋敷が並び、町家はない。


【関前藩 職制】
関前藩[1-1-1]
藩領の高は6万石。大名家の6割が5万石未満であるので、まずは中どころの規模の家である。
藩主[1-1-1]
藩の領主。大名。藩侯。
福坂実高。藩領の高は6万石。
中老[1-1-1]
家老または家老相当職の補佐役。
常置の職でない場合、
年寄や奉行の中で精勤者や有能な者を家老に準じた扱いをし家老格を与える前段階の役職。
または、本来家老になれない家格馬廻以下の藩士を藩政に参与させるための役職。
中老職の席次は番頭より上。 (←ウィキ)
坂崎磐音の父がこの職にある。
小姓[1-1-1]
武将の身辺に仕えて、諸々の雑用を果たした。「扈従」に由来し、役目の第一は、将軍・藩主などの主君の警護である。
若い藩士を小姓・側用人等に任じて、将来自分の手足として働けるような人材に育成する事を心がける藩主もいた。 (←ウィキ)
小姓頭
明和六年、坂崎 磐音は藩主福坂実高の小姓頭として参勤に扈従し出府した。[1-1-1]
納戸役[1-1-1]
主君に近侍し、種々の雑用を行い主君を補佐する。小姓との地位の上下は藩により異なる。 (←ウィキ)
納戸頭
小林琴平27歳250石が任につく予定であった。[1-1-1]
御先手組[1-1-1]
先陣・先鋒の戦闘部隊。平時は城内・城門の警備についていたと思われる。
御先手組 組頭
河出慎之輔28歳380石が任じていた。[1-1-1]


【経済】
石(こく)
土地の生産力を米の量「石」という単位で表したもの。米以外の農作物や海産物の生産量も、米の生産量に換算されて表された。
大名をはじめとする武士の所領からの収入や俸禄を表す場合も石高を用いた。
一石は大人一人が一年に食べる米の量に相当することから、これを兵士たちに与える報酬とみなせば、石高×年貢率と同じだけの兵士を養えることになる。
つまり石高は大名や武士の財力および兵力をも意味する。(…ウィキ)
石高制
封土を、将軍から大名、大名から家臣、家臣からその家臣へと順次分割給付して主従関係を保ち、また石高の多寡によって上下関係を決定づける。
1石の価値
概ね1石は1両に相当するようだ。
200石の領地持ちの武士は年貢実収が100石、お金にして100両の年収があったようだ。
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【人物】
佐々木玲圓(ささき れいえん)[1-1-1]
神田三崎町にある直心陰流 佐々木道場の主。
河出慎之輔(かわで しんのすけ)[1-1-1]
28歳。御先手組組頭380石。
関前中戸道場、神伝一刀流。
明和9年4月、江戸より帰国する。妻の舞が関前にいる。
河出 舞(かわで まい)[1-1-1]
慎之輔の妻。小林 琴平の妹。関前在住。
小林 琴平(こばやし きんぺい)[1-1-1]
明和9年4月、江戸より帰国する。27歳。
中風で倒れた父に代わり、納戸頭250石を継ぐ予定である。
関前中戸道場、神伝一刀流。
河出 舞の兄。
小林 奈緒(こばやし なお)[1-1-1]
小林琴平の末妹。坂崎磐音の婚約者。関前在住。
坂崎 伊代(さかざき いよ)[1-1-1]
坂崎磐音の妹。関前在住。
坂崎 磐音(さかざき いわね)[1-1-1]
明和9年4月、江戸より帰国する。27歳。
中老職630石の長子である。
関前中戸道場、神伝一刀流。
中戸 信継(なかと のぶつぐ)[1-1-1]
関前城下にある藩の剣道場の主。神伝一刀流。
福坂 実高(ふくさか さねたか)[1-1-1]
藩主。

【武術】
直心陰流(じきしんかげりゅう)[1-1-1]
神田三崎町、佐々木道場の流儀。
上泉伊勢守秀綱の神陰流の流れ。眞新陰流、直心流と連なる一派と思われる。
神伝一刀流(しんでんいっとうりゅう)[1-1-1]
関前の藩道場、中戸道場の流儀。
目録
物の名目・分量などを記した文書。またとくに物の贈呈や奥義の授与などの証文をいうことがある。
武術、芸道において師匠が弟子に与える免許の名目とその旨を記した証明書も、目録とよばれた。(←Yahoo辞書)

【言葉】
参勤(さんきん)
出仕して、主君のもとに勤めること。
出府(しゅっぷ)
幕府の所在地たる江戸に出ること。